わたしは君の何者にもなれないしなろうとも思っていない。

 

人の愚痴や相談に乗っておきながらなんて無責任な決まり文句なのだろう。ここ最近出逢った人には皆と言っていいほど伝えている言葉だ。

 

あの子とかあの子とかあの人とかのいちばんになりたかった中学生のころを思い出した。

わたしはどう頑張っても、他人の一番にはなれなかった。

「プリクラ代が今お金が無くて払えないから払っておいて」「わかった」

「◯◯のライブのチケット、貴方が申し込んどいて」「わかった」

 

 

 

「◯◯に言い寄られて困ってる」×100 「そうか これはこうしたほうが良いかも」

 

「いつもその男の話ばっかじゃん」

 

学園生活が、人生の一番楽しい部分が終わった当時13歳の夏のわたしの発言だった。

 

その子の一番仲の良い友達が自分であると思っていた。だが、呆気なく崩れ去った夏。長い地獄の始まりの夏。

 

蒸し暑い夏が来ると思い出す。エアコンが効きすぎた夏のひんやりしすぎたバスの中だとよく思い出す。バスの中にエナメルバッグをかけた女の子の集団を見ればもっとよく思い出す。わたしはそんなエナメル集団から弾かれた存在だった。エナメルバッグを辞めてわたしは学園指定のスクールバッグになった。スクールバッグにマックのハッピーセットの景品のキティちゃんのマスコットストラップをつけるのは辞めたしダイソーの黒のスパンコールの安っぽいリボンゴムを持ち手に括りつけるのも辞めた。クラスメイトの寄せ書きもスクールバッグには油性マジックで書かれていなかったのはせめてもの救いだった。

 

もともとわたしはスクールカースト最上位の部活に入りながら最上位ではなかったのだ。簡単に言えば最上位の腰巾着。わたしがいる事で最上位が見下す対象が出来る。それに気付いたのはもっと後だった。

 

わたしはあれから幽霊になったのか透明人間になったのかばい菌になったのか、未だによくわからない。いっそのこと、ばい菌だったらはっきりイジメってわかるのになあ。中1のころ、皮膚炎という理由でばい菌扱いされているクラスメイトがいた。菌がうつる!とクラスメイトは他のクラスメイトに何かを擦りつける。クラスがキャーキャー騒ぐ。自分には訳がわからなかったが、違和感を感じながら騒ぐでもなくそれに対抗するわけでもなく、ただただクラスメイトたちのことがだんだん嫌いになっていった。

 

女の子の一番も男の子の一番も先生の一番も自分の一番もいなかったわたしは、もう一番を見つけ出すことを辞めた。見返りを求めれば求めるほど自分が惨めな思いをするのだ、と信じて疑わない期間を過ごした。

 

必死に孤独と戦いようやく孤独に慣れたころ、恋人という異性の中の一番が出来た。わたしは恋人の恋人という者になった。ここまでくるのに6年もかかってしまった。だけど確実に6年間は息をしていた。17歳で死ぬという15歳の正月に見た夢は正夢にならなかったと落ち込んでいた時に出逢った男性だった。

 

冬が終われば、暖かくなり春が来る、桜が散れば、あの、忌々しい夏がくる。

 

今年の夏は、今年の夏も、バスに乗ると思う。

なぜか1月も始まったばかりなのに、とてもワクワクしている自分がいる。